「東月寒会館」教室 2017


 2017.12.28 「お正月の祝い花」

 お正月を迎える喜びをお花に託して、2017年の最後のお稽古です。お正月花なので、KatsuさんとTeikoさんも参加してくれました。それぞれ自宅での飾る場所を意識して、器を選びました。

 年内最後に私がしくじったのは、写真です。実は、Kumikoさんは小判型花器二面を使用して万年青(オモト)を格好良くいけてくれたのですが、撮影した写真がブレてしまい、ここに掲載できませんでした。「うっ、・・・・・・ごめんなさい!」

 さて、主婦がお正月を迎える準備の忙しい最中、落ち着いた心持ちでお花をいけられるのは、色々な意味で幸せなことです。

新しい年も喜びに満ちた年でありますように。


2017.12.19 

 30年以上前に私が師事したH先生は、辰砂釉(しんしゃゆう)の焼き物がお気に入りのようでした。ある日、その深い深い赤褐色の色合いがとても素敵な(多分すごく高価な?)花器が手に入ったと喜ばれていました。当時の私は、陶器のことも磁器のことも、ましてや辰砂のことなど全く無知で、先生が大層興奮して喜ばれていたので『よく分からないけれど、きっと凄いものが手に入ったんだァ』と、思った記憶があります。私の辰砂耳付花瓶は『写し』ですからそのような高価なものとは違いますが、この花器を見る度、あの日のH先生の嬉しそうな笑顔が思い出されます。

 山茶花は面白みがあるいい枝でははありませんでしたが、しばらくぶりにこの花器をKumikoさんに使用してもらい、小品花のお稽古をしました。

2017.12.12 

 私はうっかり間違えることが多々ありますので、ここで山茶花(サザンカ)と椿(ツバキ)の違い・見分け方についてもう一度復習しておきましょう。

<1>花の散り方

   山茶花/花びらがパラパラと落ちる。

   椿/花ごとポトリと落ちる。

<2>葉の縁

   山茶花/鋸の歯のような細かいギザギザがある。

   椿/葉の縁はツルツルとしていることが多い。

他にも、開花時期や葉脈などの違いがあるようですが、どちらもツバキ科ツバキ属なので、よく似ているわけです。但し、寒椿(カンツバキ)と呼ばれているものがあり、これはちょっと見分けが厄介なようですから要注意!

2017.11.28

 このところ、寒い日が続いている札幌です。Tamikoさんは悪い風邪をこじらせ、Kazukoさんもお休みなので少し寂しいお稽古です。お二人とも私と違いスリムなので、美味しいものをたくさん食べて体力アップし、早く元気な顔を見せてくださいね。

 さて、Chiakiさんは2回目の「ひらくかたち」。Kumikoさんはコリヤナギと百合を瓶にいけました。


2017.11.21

 初等科を修了したChiakiさん、初めての「ひらくかたち」。丁寧さが感じられる作品です。フリージアの香りが芳しく「もうそんな季節になったのね」と、Kumikoさんの声。

 そのKumikoさんは、黒文字(クロモジ)を主材に瓶花です。そこで、私が黒文字に関するうんちくを傾けていると、すかさず二人はクロモジの小枝をくわえ、歯を磨く体験です。昔々、宮中の女官たちもこんな風に磨いていたのでしょうか? 勿論、私も試してみました。鼻に抜けるようなスッとした香りが爽やかです。リフレッシュ効果も期待される優れた植物だそうです。

 傍らではTamikoさんがニコニコ笑いながら大人の対応。

 和菓子を食べる時などに使用する高級な楊枝”くろもじ”は、この木のことです。


2017.11.14

 こども教室では、まずは「いけばな」の楽しさを体験してもらうことを主眼にカリキュラムを考え、お稽古しています。が、時には古式ゆかしき伝統文化としての「いけばな」がなぜスマホの現代まで伝承されているのかを考えてもらうため、やや難しいお話しもさせてもらっています。抽象的になることもありますが、こどもたちのスポンジのように柔らかな心に語りかけるのは「いけばな」のもつ世界の広さ、深さを一緒に感じてもらいたいからです。

 何時かこんなお話をしたことがあります。「お花をいけるのは手でいけるのだけれど、心でいけるとも言えるよ。だからいけばなが上手になりたかったら自分の心を磨いてね!」

 さて、文化祭が終わった翌日(11/4)、その日は時折冷たい雨が降っていましたが、岩内町にある木田金次郎美術館を訪ねました。

私は、展示されている数々の作品のはずれに目が留まりました。そこには『木田金次郎語録』と書かれてありました。そして「作品は人です。人間が鍛え上げられて、りっぱにならなければ、いい絵が生まれるはずありません。(『北海タイムス』昭和37年4月24日)」と、ありました。我が意を得たり?!

2017.10.24 & 11.7

  

2017.10.3 & 10.17

 Tamikoさんがお茶の木(単に茶の木または茶樹と呼ぶこともあるようですが、ここではお花屋さんにならって)について調べてくれました。お茶の木はちょうど今頃から初冬にかけて白く可愛らしい花を咲かせる(季語にもなっている)そうです。届いた枝にも花がついていたのですが、残念ながら包みを開くと白い花がぽろぽろとずいぶん枝から落ちていました。しかし、しっかりと実はついていて、この実は前年に咲いた花が結実したものだそうです。従って、この時期は実と花と両方ついているのを楽しめるようです。 

2017.9.27

 それぞれの持ち味を生かすことは当然のことと思うのですが、それは簡単なようでなかなか難しいことです。菊は菊らしく、グラジオラスはグラジオラスらしく、そして向日葵は向日葵らしく・・・・・・。しかし、同じ植物でも持ち味はひとつではなく、場合によっては色々な側面を見せてくれます。ゆえにいけ手の私たちは、時には冒険やチャレンジもしながら、花々の語る声に謙虚に耳を傾けていたいと思います。

2017.9.20

 今年の中秋の名月(十五夜)は、10月4日だそうです。先ほど窓の外を見上げると細~い上弦の月です。ところで『上弦の月』がどのような月のことかをしっかりと意識したのは、吉田拓郎が歌う『旅の宿』の歌詞にあったからでした。突然、そのフレーズを何十年かぶりに思い出し、口ずさんでみましたら結構歌えるので自分でも少し驚きました。

まだ青臭くて果敢な青春時代、古き良き昭和の頃です。何故か、一人でテレちゃいます。


2017.9.13

 調べると、平安時代の和歌集には、ススキを詠んだ和歌が数多くあります。

 『さらでだに心のとまる秋の野にいとども招く花すすきかな』 (後拾遺和歌集:源師賢朝臣)

草原の中に咲く薄の穂(尾花)の風に揺れる情景を手招きしている仕草のように譬えたとのことです。古代の人々の溢れる感情表現の豊かさにはいつも驚くばかりです。

 この日の薄は矢羽根薄(ヤバネススキ)ですから自然の中の薄とは違い栽培されたものですが、開花の時期が山薄より遅れて来るのでとても重宝します。さて、いけ終えた薄をどんな風に比喩しようかな?

2017.9.6

 花材取り合わせに実付きのヒオウギアヤメが入ってきました。写景盛花自然本位のお稽古のチャンスです。そこで早速、自宅の庭のものを足して取り合わせを。

 もちろん檜扇菖蒲(ヒオウギアヤメ)を主人公に見立て、周囲の景観を考えてみました。ヒオウギアヤメは湿地帯に咲く植物です。私も雨竜沼高層湿原などで出合ったことがあります。ここでは水の見せ方、役割も重要かなと説明しました。

 後日、撮影した写真を見ていて、栃木のお国訛りで写景の指導をしてくださったO先生(確か自然盛花の大家として札幌支部の先生方からも尊敬を集めていました)の言葉を思い出し、私の古いメモ帳を開いてみました。

 「自然の風景にふれる機会がだんだん少なくなってきている現代は、どうしても本を見て勉強して、結果として型だけ見せることに陥りがちだろう。でも、たとえ遠くの野山に行けなくても、例えば道端の花の芽出しから枯れる頃までを観察し、その植物の生態を知ることが大切だよ。自分の肌で実際に自然の風情を感じることができたら、どんな花材を扱ってもいけられるようになるものだよ。花材の配分は、少ない方がより写景感が出る。そして、最後には風と水が感じられるように仕上げること。」1988年の記録です。

2017.8.30

 洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)は、やや大きい葉が垂れ下がり水揚げが難しく扱いにくい面があります。しかし、房状になって咲く小さな白い花が実になり次第に淡い緑色から黒紫色に輝く姿は面白い表情に変化があり、空気の動きが感じられます。

 唐胡麻(トウゴマ)は、葉や茎の色が赤く美しい姿がとても個性的で、一度覚えたら間違えようのない特徴ある花材です。20年ほど前にベルー・アンデスをトレッキング中、山間の小さな集落で出合いました。そこに生えていたのは3m以上もあろうかという唐胡麻でした。当時の私には大木のように感じられましたが、洋種山牛蒡も唐胡麻もどちらも植物学的には木ではなく草に分類されます。

 それからもう一つ。ゴボウとゴマ、まるで美味しい食品のような名前がついていますが、残念ながらどちらも有毒です。


2017.8.23

 竜胆(リンドウ)は秋の訪れを感じさせる代表的な植物です。札幌近郊の山々でもそこここで出会うことができます。山道でエゾオヤマノリンドウが風に揺れる様子を見ていると、思わず座り込んでじっくりと語り合いたくなります。

 

2017.7.25

 さらりと空間の大切さを意識して、いけてみました。


2017.7.19

 むしろ短い北国の夏の暑さを楽しもうと、竹籠(たけかご) に投げ入れです。

 籠(かご)の持ついかにも軽やかで落ち着いた風合いは、そこにあるだけで静かな和の空間を醸し出します。紫陽花や矢羽根薄、珍珠梅、透かし百合などととてもよく似合い、今の季節ならではの涼し気な作品に仕上がりました。

 Kumikoさんが選んだのは虎竹で作られた手付きの宗全篭(そうぜんかご)。

 Tamikoさんは桂籠(かつらかご)の置花入れです。桂籠の名前の由来を調べてみましたら「千利休が、京都の桂川の漁師から魚籠(びく)を譲り受け、花入れに見立てたもの」と言われているそうです。桂籠とか桂川籠(かつらがわかご)と呼ばれています。 道理で形状がびくにそっくりです。

 いけ終えた後のティタイムでは、ダージリンティーをいただきましたが、こんな日はお抹茶をいただきたい気分でした。 

2017.7.5 & 7.12

 背丈のあるマリーゴールドが花材に入っていました。マリーゴールドと言えば、歩道にある花壇などに植えられている姿をイメージする方が多いと思います。春から秋まで、一株の茎に次から次へと蕾を開花させ、ひと夏じゅう楽しむことができます。さて、この日届いたマリーゴールドは、フリルのような花びらがびっしりと反り返り、手毬のようになっていました。

他の花材と合わせてみてもあまりにも個性が強く(花の頭が重く)、しっくりきません。そこで、可哀想でしたが花びらを少しずつむしり取ってみましたら姿がスッキリとしてきました。ようやくバランスがとれて、一安心です。

 Kazukoさんのこの日の気分はたっぷりの茴香を存分に生かし、茴香たちの謳歌する夏を表すかのようです。配材にグリーンのものがなかったのでKumikoさんから素馨をいただき、足元に添えてみました。

 Kumikoさんの瓶花は、マイクロ透かし百合です。花の大きさが程よく、扱いやすいと感じました。「キタピリカ」という函館で栽培されている品種だそうです。すぐに北海道産と分かる命名だと思いました。 

「ゴメンね!」 せっかく咲いている花びらを整理するのは、少し後ろめたさも感じるのですが、より美しくいけるため。これも、作品の中のマリーゴールドを生かすための技術です。


2017.6.28

 この時期としては何となく肌寒くスッキリとした青空が少ないなァと感じていましたら、今年の6月の北海道は近年になく雨の量が多かったと新聞が報じていました。「やっぱりね!」と納得です。もうすぐ7月になろうとしているのに、時には風も強くストーブが恋しい日和さえあります。

 さて、この春、新社会人になったMaoちゃんが二ヶ月ぶりに来てくれました。学生の頃から見比べると、グッと顔つきも締まって美しくなったように感じます。対面では、慣れた手つきのTamikoさんがサッサッサッと枝葉をさばいて瓶花に。Maoちゃんからしてみれば母親や祖母のような年齢の私たちは、それなりに人生の雨風を経験して、今、一緒に花をいけている。素敵な空間です。 


2017.6.21

 前回、撫子(ナデシコ)について書きました。その後タイムリーなことに(最近のことですが、発刊日は忘れました。すみません)たまたま開いた朝刊に、石狩浜の蝦夷河原撫子が咲き始めたとの記事がありました。薄ピンク色で花弁の周囲がヒラヒラとしているその姿を想像して会いたくなりました。札幌近郊にお住いのみなさん、蝦夷河原撫子を見たいなら石狩はこれからが旬ですよ。

 さて、お稽古の後、いただいたおやつは西表島の黒糖と黒糖羊羹。天然のカルシウムとカリウムが豊富なのだそうです。口に含むと黒糖特有の香りが広がり「幸せ~!」な気分。40年ほど前、学生時代にたった一度訪れたことがある西表島の記憶がよみがえってきました。自分の背丈をはるかに超えるサトウキビ畑の 農道で『ザワワザワワ~♬』と歌った青春の輝きが。


2017.6.14

 このところ「リラ冷え」なのか「蝦夷梅雨(えぞつゆ)」なのか分かりませんが、スッキリとしたお天気が少ないように感じる札幌です。けれども我が家の小さな庭には生き生きとした枝葉が茂り、まるで自分たちの出番を待っているかのようです。そんなわけで、お花屋さんから届いた花材に庭のものを少し加えて取合せを考えてみました。

<学び①>モミジ(=カエデ)

 大きな枝を見た時は涼し気でいいと思いましたが、実際に寸法をあわせていけてみると枝や葉が単調(葉のつき方が対生で一本調子の枝ぶり)でこのような花型でいけるのは難しいと感じました。もう少し変化のある面白い枝を用意すればよかったと反省です。いけてくれたTamikoさん、ありがとうございました。

<学び②>撫子(ナデシコ)は山もの?!

 かつて私が自然の真っ只中で出会ったのは、山岳地帯では高嶺撫子(タカネナデシコ)。夕張岳や礼文島で見つけました。また、海岸線の小清水原生花園では蝦夷河原撫子(エゾカワラナデシコ)。芦別岳の旧道ユーフレ川の河原(本当に水のすぐそばでした)に咲いていたのは、さてどちらのナデシコだったのか今となっては不明。結局、草木を『山もの』または『水もの』とした場合、その他の取合せや作者の意図によってナデシコの立ち位置が決まるのでしょうか?

2017.6.7

 私の『古いメモ帳』から、1988年9月S先生のお話しです。

「小原流はレパートリーがとても広いからね。当然、得手不得手が出てくると思う。秘訣は、自分はこれが一番というものをひとつ持つこと。そこから勉強を進めていくと、他のものに対する自信がついてくると思うよ」 

 それから29年経た現在、私の『ひとつ』は何だろう、今改めて考えています。


2017.5.23 & 5.30

 日に日に伸びる草木の成長の速さを感じるのは、私自身の行動や頭の回転がスローになったということでしょうか。はたまた、いけばなを楽しむ私たちはこうして日常的に花々と接する機会が多く、季節の移ろいに対して敏感になっているからなのでしょうか。

 お花をいけ終えた後のホッとした雑談でもみなさんが日ごろから感じている植物への思いが伝わります。普通の人にとっては名もないような小さな草花に気づき、その特徴や形状などを観察して関心を寄せている。何気ない風景(自然)に対する視点もやはりちょっと違うなと思えます。

ヒトリシズカ

摘んだばかりの野草ですが、あれよという間にうなだれてしまいました。試しに水切りをして、水揚げ剤を使用してみると大成功。徐々に元気を取り戻し、勢いのある姿に!


2017.5.17

 Tamikoさんがご自宅の庭に咲いたヒトリシズカを持って来てくれました。野幌原始林の自然を撮った写真集も一緒に。

 これら野草の魅力は色々あると思いますが、私は何と言ってもその「さり気なさ」にあると思います。環境に適応しつつ自らの生命を保つ術を心得ていて、さりとて必要以上の自己主張はしない。見習いたい部分です。ヒトリシズカもそんな植物かなと。以前、背比べや背伸びをするようなスクッとした立ち姿が好きと書いた記憶があります。4枚の葉にそっと包まれるように咲く白花を目の前にして、小さなブラシのような雄しべと雌しべをじっくり観察しました。できることならいつか、その姿を写景盛花にいけてみたくなりました。

2017.5.10

 前述、「卓上四季」の続き。

・・・植物学者・田中修さんの著書「植物はすごい 七不思議篇」に教わった▶田中さんによると、サクラが咲き始める時期の平均気温は、鹿児島市の13度前後、京都市の11~12度に対し、札幌市は9~10度。厳しい寒さゆえに、サクラの目覚めが良く、低い気温でも花が咲く・・・・・・

 これを読んで私は、植物ってすごいなぁ、人も似ている部分があるのかなと思えてきました。


2017.4.19

 花材にある芽出しナナカマドと木瓜(ボケ)は、いずれも春の訪れを告げているかのようです。少し弱々しく思える黄緑色の葉や薄紅色の蕾は、やがて成長する姿を想像させ、嬉しくさえ感じます。

 さて、2017.5.7北海道新聞朝刊の「卓上四季」を興味深く読みました。桜についての記述です。

・・・・・・つぼみができるのは前の年の夏なのだそうだ。ならば、春と同じような気候の秋に咲いてもよさそうだが、それでは次にやってくる冬の寒さのために種をつくれない。そこで、「越冬芽」という硬い芽に包まれて眠りに入る▶その眠りを覚まさせるのは春の暖かさではなく冬の寒さだ。「寒さが厳しいほど開花の準備が早くに整い、開花できる暖かい温度に出会うとすぐ反応できる」という。・・・・・・ 


2017.4.11

 現在、「師範科二期 」資格のMichiyoさんは、3月に「進級講習会」を受講しました。その後、初めて教室に現れ、その時の感想を楽しそうにお話しされました。

 こんな緊張感は何十年ぶりとのことで、お稽古の時にはしっかり理解していたことが、いざ講習会でいけてみると、分からなくなってしまったそうです。審査が終わり、部屋に戻った後も、上手にできなかったところを悶々と考えていると、最後に参与の先生が「お花は楽しく、楽しくね!」と、ジェスチャーを交えにこやかにご挨拶されたとのことです。それがとても心に響き、一転ホッとして嬉しい気持ちになったとのことでした。 


 これまで一度も月例研究会に出席したことがないMichiyoさんの満面の笑みと新鮮で初々しい感想を聞いて、私も嬉しくなりました。そうだよね。「楽しく、楽しく!! 」  ここで再び、私の『古いメモ帳』からのヒントです。1988年8月、O先生のアドヴァイスから・・・

「いけるうえでの大事な点は、まず主材として一枝の風格と個性を生かすこと。枝と花との接点を見つめ、挿し口がまとまっているか見極めること」 

2017.4.4

 最後の仕上げにと、気持ちを集中している様子を写しました。全体のバランスを確認しながら、それぞれの花がいきいきと見えるようにその分量、作用する力の配分、ゴチャゴチャとうるさくならないようにも注意しながらスターチスを挿し添えます。たったひとつの花を挿すのにも頭の中では瞬時に色々なことを考えます。

 肩の力を抜いて、けれども、勢いのある花をいけることが、この日のテーマでした。 

2017.3.29

「音楽家は音楽で、画家は絵で、華道家はいけばなで・・・」


 ずいぶん前のことですが、札幌支部月例研究会のご指導のため来札されたK先生のお話を伺う機会に恵まれたことがあります。25年も前に書いた私のメモが出てきました。読み返してみると、当時の私には気付かなかったお話の奥深さを感じ、要旨をここに紹介します。

 「・・・作例というものはたくさんあるけれど、作品と呼べるものはそう簡単にできるものではありません。つまり、いける人の生き方や価値観を含め、内なる自分を表現できた時こそが本当の意味での作品になると思うのです。いけばなは、かなり面白いものです。音楽家が音楽で、画家が絵で自分を表現するように、私は花を手にすると自分を表現することができます。より言いたいことが言えます・・・」 

2017.3.22

 ビックリ! カラテアの大きな葉が届きました。「どうしょう?」と一瞬迷った表情のKazukoさん。「せっかくの大きな葉なのでドーンと糸芭蕉のように、思い切りいけてみましょう」とはっぱをかけ、チャレンジです。私にとっても思いがけない取合せでしたが、ゆえにワクワクするような高揚感。

 いけた後のお茶の席で話題になったのは、特に新しいことに臨む時、脳内が活性化していつまでも若々しくいられるとのことです。なるほど、Kazukoさんを見て納得です。私も何でも面倒がらずにチャレンジしなきゃ! 

2017.3.15

 両方の枝を見比べるとそれぞれの特徴がよく表れていると思います。

 青文字の端正な姿は、清潔で安定感があり優等生タイプ。安心して見ていられます。

 他方、雪柳は、自由奔放で風の向くまま気の向くまま何処へ伸びていくのか、ゆらりゆらりと揺れているようにも見え、空気の動きさえも感じられます。面白いなと思いました。 


2017.3.8

 先週、写景盛花(自然盛花)をいけたTamikoさんが花材にあった木苺について調べてきてくれました。「キイチゴ」という名称は、これらの類似した植物の総称(通称?)であって正式に「キイチゴ」と称する植物はないらしいとのことでした。そこで私も30数年以上も前の出来事を思い出しました。

 夏、恵庭岳(支笏湖畔)で出会った木苺は、登山道脇の草むらの中で見つけた。赤や黒の実がまるで宝石のように輝いていた。食べてみるととても甘かった。トゲに注意しながら、少し余分に摘んで潰れないようにコッフェル(カップのようなもの)に入れ、そっと持ち帰った。祖母に食べさせたかったからだ。戦前、樺太に暮らした祖母はそれを見るなり「クマイチゴだべさ!」と言って懐かしそうに頬張った。『何? クマイチゴ?』と聞いて、きっと方言か通称と思い私は図鑑を調べた。そして、驚いた。本当にクマイチゴだった。明治末期に生まれ小学校もまともに通えなかったと話す祖母だが、何故か山野草(山菜やキノコなども)に詳しかった。今でもリスペクトしている。

2017.2.28

 2月最後のお稽古。早いものですね。今年になってもう二ヶ月が過ぎました。これからは日に日に暖かくなってきますね。気がつけば、日暮れの時刻も随分遅くなってきました。

 さて、このところ季節感のある花材が届き、春の野山に想いを馳せている私です。そこで、桜について調べたことに少し触れたいと思います。現在、日本最古の桜の記述が確認されているのは「日本書紀」とのこと。402年11月、池に浮かべた船で酒宴をひらく履中天皇の杯にどこからか桜の花びらが舞い落ちてきた・・・という内容です。いかにも優雅でのどかな美しい情景が脳裏に浮かびます。けれども、11月とのことですから十月桜か寒桜だったのでしょうか。紙面の都合で、このお話の続きはまたの機会に。 

<花材を見極め、それぞれの課題を見つけ、花と向かい合う時の姿が素敵です>
<花材を見極め、それぞれの課題を見つけ、花と向かい合う時の姿が素敵です>

2017.2.22

 ウキウキするようなラッパ水仙。雪解け直後の堅い土から芽を出す姿に強い意志が感じられ、とても好きです。

 一方、ギリシャ神話に登場する美少年の伝説は有名です。水面に映る自分の美しい姿にうっとり見とれ、虜になる。少年が水仙に姿を変える。だから今でもたいていの水仙は川辺や池などの水の近くに咲いている。水面に映る自分の姿にいつも見とれているので、花はうつむいている。他の人のことは目に入らないとか? 自信はありませんが、私の記憶では確かそのようなお話でした。「 ちょっと嫌な奴だな」と感じてしまいますが、もちろん水仙には何の責任もありません。このコメントを読んで嫌いにならないでください?! 

2017.2.15

  春の花材です。芽出しの木々にはいかにも生命の息吹を感じるような可愛らしさと初々しさがあります。

 桜と菜の花は春の取合せの定番ですが、毎年触れたい花材です。と言うのは、桜は何と言っても私たち日本人の心の原風景なのではと思うからです。桜からイメージされる数々の思い出は、多くの人にとって喜びや悲しみや色々な感情をともなってあるのではないでしょうか。

 なぜ桜が日本人にとって他の木々にはないような特別な存在になったのかは分かりませんが、私にとっては気になる花木のひとつです。

 札幌の街に桜が咲くのは、もうしばらく先のことになりますが、今日の桜は一足早くお花見をしたような気分でした。


2017.2.1

 航空機のトラブルのため前日の帰札がかなわず、ごめんなさい。

 散々待った上、滑走路にて待機中の機内で機長から「欠航」と知らされ、大ショック! 満席の機内では落胆の空気が満ち溢れるが、みなさん、大人の対応。人生とはえてしてこんなものかと。その結果、留守中のサークルでは、自習となり互いの作品を学びあいながらのお稽古でした。みなさん、ありがとうございました。

2017.1.24

 「えぇ~ッ! ゲットウソバ?」「食べたの?」「そう。沖縄のお蕎麦屋さんで」「へぇ~、どんな味?」すると、「コレ、コレッ・・・」と、スマホで写した写真を見せてくれました。見たところ、確かに月桃の大きな葉の上に緑色の麺が。ザルそばです。生地にも練り込んであるとのことです。月桃の効能は沖縄では古くから知られていて、色々なものに使われているとか。しまった。MIchiyoさんからゲットウソバの写真をもらっておけばよかった。

 改めて、本日の花材にある月桃をみんなで眺めてみました。切り口の匂いをかいでみると、独特のさわやかな香りです。う~ん、身体に良さそう。私もいつか食べてみたくなりました。今日のお稽古で、またひとつ教わりました。

 ところで、金盞花の取合せにあった葉(右の写真)の名前が分かりません。お花屋さんに問い合わせたら返信がありました「セロームのブラックコンゴ」というそうです。「初めまして、よろしくね」

2017.1.18

 少し長めのお正月休みが明けて、初めてのお稽古。2017年が始まりました。いつの時代も時の流れは人々の営みにはお構いなしに過ぎていきます。酸いも甘いも悲しい時も嬉しい時も多少のうねりをともないながら、しかし確実に過ぎて行ってしまいます。だからこそ今を大切に過ごしたいです。

 さて、それぞれの花材を手に、みんなしばしの間黙り込みます。この植物たちをどんな風にいけてあげたら、より輝きを増すのでしょう? 多分そんなことを考えているのだと思います。「あなたはどうなりたいの?」お花に向かい問い掛けているかもしれません。私はこの時間が好きです。そして、大切にしたい時間です。やがて、ピーンときたら、あとはもういけるだけ。

 <いけ終えた後のティータイムも大切な時間です>
 <いけ終えた後のティータイムも大切な時間です>